ねぶた祭りとはどんなお祭り?歴史や海外の反応まで魅力を解剖!

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夏といえばお祭りですよね。
今年はどんなお祭りに出かけますか?

今回は、一度行けばはまってしまう人続出の青森のねぶた祭りについて魅力を徹底的にご紹介します。
ねぶた祭りといえば大きな人形の乗った山車が練り歩くイメージだけれど、それ以外何もわからない・・・という人も多いのではないでしょうか。

歴史が長く、庶民に愛される大人気のお祭りなんですよ。
この祭りのために1年を過ごしている人もたくさんいるんです。
青森ねぶた祭りの魅力をお伝えします。

  

ねぶた祭りとはどんなお祭り?

青森のねぶた祭りはいったいどんなお祭りなんでしょうか。
何が人々を引き付けてやまないのでしょうか。

このねぶた祭りは東北三大祭りの1つで、8/2~7の期間中、6日間で約300万人を動員するといわれている大人気のお祭りです。

その魅力は高さ約5メートル、幅約9メートルもある超巨大な人形灯籠(針金と和紙で作った人形)がきらびやかに光りながら進む姿は大変迫力があり、その美しさに驚かされます。

さらに数万人に及ぶ跳人(ハネト)やリズミカルに音楽を奏でる囃子方が乱舞しながら街を練り歩く姿には見るものを興奮させ、我を忘れるほど熱中させます。
こちらの動画をぜひご覧ください。
この人形(ねぶた)、全部本当に紙でできているの?と思うほどの美しさと迫力に驚いてしまいますよ。

ねぶた祭りは神様がお祀りされていない

青森で古くからの歴史があるねぶた祭りなのですが、意外なのが神様がお祀りされていないという点です。
寺社のお祭りではなく、青森の街が誕生し、その人々の生活の中で自然に発生し、生まれたお祭りだといわれています。

神様のいないお祭りであるというのは特殊で、それによってねぶた祭りはかなり自由なお祭りになっているのです。
その証拠に、なんと青森のねぶた祭りはその日初めて青森にやってきた観光客ですら、飛び込みで跳人(ねぶたについて跳ねながら祭りを盛り上げる役割)として祭りに参加することが可能です。
また、ねぶたを運行する団体もねぶた製作にかかる巨額の費用を用意できるなら、原則どのような団体であっても参加が可能となっています。

お祭りといえば、その土地に根付いているものなのでその土地の氏子が中心となって、伝統を守っていこうというとする傾向がどこの地域でも見られると思いますが、青森のねぶた祭りは観光客も参加大歓迎、みんなで青森を盛り上げよう、という太っ腹なお祭りなのです。

逆に言えば、なぜ神様が祀られていないお祭りなのに、(皆の心のよりどころとなる、神のような象徴がないのに)こんなにも青森の人や観光客を熱中させ、人々を一致団結させるのでしょうか。
その答えにはねぶた祭りの後にやってくる厳しく寒い冬を乗り越えるために、青森の人がねぶた祭りで盛り上がることを大変楽しみにしている、ということがあります。

青森の冬は大変厳しく、しかも長いです。
その前にねぶたの華やかで我を忘れるほどの美しさ、わくわく感で一致団結し、毎年の冬を何とか乗り越えてまた春を迎えるための活力にしているのではないかと思います。

ねぶたは巨大なアートである

ねぶた祭りの主役はもちろん、巨大で美しいねぶたですが、もうこれは素晴らしい芸術作品、アートです。
先ほどの動画にもあった通り、人形の髪の毛の逆立った様、戦いの場面の勇ましさ、繊細な着物の模様など、そのすばらしさに目を奪われた方も多いのではないでしょうか。

それもそのはず、ねぶたの製作者の方々はたった6日間のために1年をかけてねぶたの題材を考え、巨大なアートを作り上げていきます。
作り手の並々ならぬ思いがそこにはあります。
ねぶた祭りでは期間中に審査があり、「ねぶた大賞」をはじめとするねぶた祭りの5つの賞が決定されます。
ねぶたにかかわる人はみな、その受賞を夢見て祭りに参加しています。

絶対に受賞したい、という熱い思いがねぶたの芸術性を高め、製作者は日々ねぶたのことを考え切磋琢磨しているのです。
親子数代でねぶたを作られている方もいらっしゃいます。

後でもご紹介しますが、そのアートとしての価値は文化の違いを超えて、世界でも認められています。

また別の角度からご紹介すると、ねぶたは紙と針金でできた、いわばペーパークラフトですが、その巨大さと緻密さゆえに製作と運行には莫大な費用がかかります。
ねぶたを運行する1団体当たり、数千万円の費用がかかっているのです。

莫大な費用がかかってでも青森の夏を盛り上げたい、一致団結したいという思いで毎年ねぶたを製作する、ねぶたを愛してやまない団体が青森にはたくさんあるのいうのが本当にすごいですね。

ねぶた祭りの歴史とは

ねぶた祭りの起源は定かではありません。
たくさんの説がありすぎてどれが正しい、というものはないようです。

数ある起源説の中でいくつかご紹介すると以下のようなものがあります。

征夷大将軍だった坂上田村麻呂が蝦夷と戦う際に、灯籠を作って敵をおびき寄せた、というもの。
これをのちに敵側の蝦夷が真似てねぶた祭りの起源となった、というものです。

津軽編纂日記という江戸時代の書物に書かれた起源では、津軽藩の藩祖、為信が1593年に京都にいたときに地元津軽の文化を京の都の人に見せたいと巨大な燈篭を製作したところ、評判となって代々製作を行ったというものです。

 
奈良時代に中国から伝わった七夕まつりと津軽地方古来からの精霊送りが融合したものとも言われています。
「ねむた流し」と「七夕まつり」を同じものとして記録された書物が残っています。
ねむた流しとは、暑さが厳しいが繁忙期である夏に睡魔を払うために行われる行事で、7回水浴びして7回飯を食うというのが決まりですが、七夕行事の一つと混同されていることもあります。
燈篭や人形などを「ねむた流れろ、豆の葉は留まれ」(睡魔は向こうへ行け)と唱えながら川や海に流していました。
実際、今もねぶた祭りの最終日にはねぶたは水上で運行されています。

歴史を見ると、その莫大な費用がかかる点から何度もねぶたが禁止された記録が残っていますが、人々に愛される祭りであったがゆえに、脈々と人々の手に受け継がれていったのですね。

第二次大戦中は夜に明かりがともると標的とされる、などの理由で完全に中止だった期間もありますが、1946年には復活を果たしています。

歴史の中で、途中何度もねぶたのサイズの規模は変えながら、時代の変化に応じて日本の文化として生き残り、今は国の重要無形文化財にも認定されています。


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ねぶた祭りへの海外の反応

ねぶたが大英博物館で公開制作されたことがあるのはご存知でしょうか。
それは2001年のことです。

ねぶたの大きさと繊細なペーパークラフトという特性により、製作も博物館内で行われ、大きな話題となりました。
もともと、ロンドンにてねぶたが遠征が行われた際に大英博物館の学芸員の目に留まり、公開製作が実現されました。

それ以外にも、ハワイやロサンゼルスなど、過去数十回、海外にねぶたが出向いてそのたびに人気があるようです。

ねぶたで取り上げられる題材といえば三国志や水滸伝など、海外でなじみのない物が多いですが(日本人でも詳しく知っている人は少ないですよね)、ひとたびねぶたとなって命が吹き込まれると、その色鮮やかで生き生きとした人形の様に誰もが魅了されるのでしょう。
言葉や文化を超えて通じる魅力がねぶたにはあります。

最近も日本文化がクールである、ととらえる風潮がますます高まっていますので、ねぶた祭りに世界から参加される方は今後ますます増え、よりその美しさは世界に広まるのではないかと思います。


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まとめ

いかがだったでしょうか。

青森のねぶた祭りの魅力についてお伝えしました。

ねぶた祭りには神様が存在しない、という点が意外でしたよね。
数千万円かかったとしても皆で祭りを盛り上げよう、だったり観光客でも受け入れて皆で祭りを楽しもう、とする姿勢に青森の人の懐の深さを垣間見た気がしました。

一度行けばはまってしまうと言われるねぶた祭り。
一度出かけて青森の美しい夏の夜をお楽しみください。

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